野村潤一郎 オフィシャルブログ

ありがとうございました!



>皆様

テレビタックルの反響が
ここまであるとは思いませんでした。

熱烈な応援、
誠に有難う御座いました。

そして皆様の思い遣りのお言葉に
感謝、感謝の気持ちで御座います。

さて、今回皆さんの意見を頂き
印象的だったことは

①皆さんが今回の放送を
 とても“熱心に視聴”していたらしいこと

①皆さんが番組の
 “編集に不満”を感じていたこと

③皆さんが討論内容の次元の低さに幻滅し
 “キャスティングに違和感”を感じたこと

④皆様が求めていると思われる私の話の次元と
 他の出演者の取り上げたい話題の次元に
 立場上そして経験上の違いから
 非常に大きなギャップがあったこと

⑤全体的な状況と
 そこでなされた議論が読解できず
 横道にそれて理解してしまった
 視聴者の方もいらっしゃったこと

⑥そしてこの場の書き込みを
 していただいた方たちを含めて
 ほとんど全ての方たちが
 私に対して好意的だったこと(感謝です!)


実を言いますと素人の出演者を相手に
この手の議論を展開した場合
必ず支離滅裂な結末になることは
予測していました。

だから私は番組の冒頭で
以前より繰り返し述べている
「自然圏と人間圏の関係」の概要を
発言いたしました。

そしてそれを踏まえた上で
科学的な“家畜の育種”という見地や
人類学的なヒトとイヌの歴史等の
バックボーンを知っていただき
とりあえずは大まかでもよいので
“犬とは何か”という“基礎”を
理解してもらいたかったわけです。

つまり、現代における動物に関する
諸問題の議論を開始するには
その場にいるメンバーの知識的な、
あるいは誤解を恐れずに
申し上げるならば“民度”的な
意識の確立と統一が必至だったのでした。

そうです、
「地球を支えているのは大きな亀で
地平線の果ては滝になっている」と
信じ込んでている人たちには
“ピタゴラスの定理”も“ダーウィンの進化論”も
一生理解不能なのです。

そればかりか発言者の一部は
つまらぬ意地を張り通したいがために
観衆の中で己の無知を晒す脅威に怯えてしまい
その結果、専門家の意見に耳を貸さず
根拠不明で内容の無いの孫引き本の一節を
呪文のように繰り返しつぶやきながら
心の殻を閉じ、ひねくれるという
ひどい結末になりました。

大きなメディアの中、
このような負のスパイラルの影響で
最終的に一番苦しむことになるのは
もの言えぬ弱者(今回の場合は犬たち)です。

そもそも犬に服を着せる着せない云々などと
延々と論議するのはナンセンスです。
本当に低次元すぎてばかばかしかった。

生物圏の淘汰を逃れ人間圏に従属し
本来の野生とはかけ離れたポジションに
存続している家畜たち。
その最たるものが犬族なのです。

だから家庭犬、使役犬を問わず
防寒が必要なら服を着せ
防護が必要なら靴を履かせればよろしい。
元々、服とはそのような目的のものですね。

英国の騎馬警官の”馬”でさえ
“たてがみを三つ編み”にして
“防寒コートを着用”していますし
もちろん蹄(ひづめ)には
ちゃんと蹄鉄(ていてつ)を打っています。
話は実にシンプルですよ。

このあたりに関しては本当にくだらない討論でしたね。
博愛主義でお人好しの私も人間たちに対する態度を
考え直さねばいけないと思いました。

我々は愛すべき地を這う友人たちに対して
湧き上がってくる思い遣りの気持ちを
行動に移せばよいだけです。

一部の大天才によって確立された人間圏、
その文化、科学の力の中で
”文明の胎児”となっているのは人間だけではなく
共生関係の元に家畜化された生命体の一群も
同様であると思ってください。

前時代的な野蛮な思考を正当とすれば
動物の管理者の負担はかなり少なくなるでしょうが
だからといって禅問答のような屁理屈で武装して
自分の中だけで安全地帯にいるのは卑怯だし
そんなことではダメです。

人間の皆さんの各々が
人間であることのおごり高ぶりを捨て
生物の一種として考えながら生き、
かろうじて隔離されている人間圏が
生物圏のお情けであることを知り、
生まれながらに備わっているであろう
生き物としての心の中の常識と
全ての生き物が持っているはずの優しい気持ち、
そして人間らしい潤いのある心を
今一度取り戻すこと。

そして人間と共に繁栄することに
自己DNAの未来への存続をかけて
捨て身の戦略を選んだ
愛すべき家畜たちに
その全てを向けてあげること。

それが全ての問題の
唯一の解決策です。

おわり。


★写真説明

野村獣医科Vセンターの
七階屋上から見た富士山。

東京の真ん中からも見えるなんて
富士山って本当に大きいんですね。

百戦錬磨で無敵のオスカーとうちゃんも
こいつにはかないそうにありません。