野村潤一郎 オフィシャルブログ

吾妻橋付近



私は新宿で生まれ
下町で育ちました。

父方は新宿、母方は銀座ですが
ブルジョワの家系ではありません。

なので両親共働きの
貧しく楽しい家庭で
子供時代を過ごしました。

今思うとかなりの貧乏でしたが
当時は全く実感しませんでした。

なにせ地域全体が
とても貧しかったのです。

橋の下の丹下ジム、
屋根に石が乗っかっている
ど根性ガエルのひろしの家、
星飛雄馬の親父のちゃぶ台返し、
アパッチ野球軍の裸足に素手の野球、
そんなのはごく当たり前の話で
もっともっと濃い日常がそこにはありました。

たとえば道端で段ボールに入って
遊んでいるとオート三輪が走ってきて
轢き潰されました。

運転手はバッキャローと
怒鳴りながらクルマから
駆けずり降りてきますが
介抱するためではありません。
アバラにヒビの入った幼児の
襟首をつかみ鼓膜が破けるくらいの
強烈なビンタを数発かまします。

大人が世の中を
動かしているのですから
ただでさえ忙しいのに
それを邪魔するような
馬鹿なガキはその場で
死んでもよかったわけです。

2Bクラッカーで指がもげた子、
公園の遊具で大怪我した子、、
浮浪者にイタズラされた子、
隅田川で死んだ子もいました。
毎日がアドベンチャーでした。

写真左の水上バス乗り場の辺りは
乞食だらけでしたし
スカイツリーの建つ押上付近は
面白いものは何も無い地域でした。

アサヒビールの工場は隅田川に
ばんばん排水していましたから
ただでさえ油とヘドロでギラギラ
している川面はそこだけいつも
モッコモッコに泡立っていました。

川沿いは様々な工場が立ち並び
排煙と汚水でものすごい臭いでしたね。

前が見えないくらいのスモッグを
吸いながら遊んでいると
目がチカチカしました。

今ではすっかり平和で
美しい街になりましたよ。

でもなんだか
つまらない気がするのは
私だけでしょうか。

街並みや言葉がキレイになったのは
良いことなのかもしれませんが
それど同時に人の心に
昔みたいな人情が
すっかり無くなっちゃった
気がするんですよ。

文句ばかり一丁前の
ひねくれ顔の若者が
バイクを買うこともなく電車に乗り、
ダサい服着て猫背&死んだ目で
ケータイのゲームばかりやっているのを
見るたびに若さも活気も感じられなくて
悲しくなっちゃいます。

まあ下町に関して言えば
まだまだ昔気質の風潮が
強く残っているので
かなりましだとは
思うんですけどね。

★写真説明

アサヒビールの建物は
泡立つジョッキを模したデザインです。
キラキラしていて素敵ですね。

通称「ウンコ」と
呼ばれている印象的なオブジェは
本来はろうそくの火のように
タテに立つ予定だったのですが
建築安全基準がナンタラで
横に寝かせることになってしまい
現在の形になったと言われています。
でもこれはこれでかっこいいと思います。